産高の歴史

同窓生の皆様、篠山城大書院南側・埋門(うずみもん)の下方に「農高発祥の地」という記念碑がある事を御存知でしょうか?この記念碑は篠山産業高等学校が産声をあげた場所に昭和31年に建立されました。(元々は埋門の下方ではなく篠山城跡に建立されていた)

え?こんな記念碑があったの?という方のためにも、1983年に発刊された篠山産業高校五拾周年記念誌を見ながら、少しだけ産高の歴史を振り返ってみようと思います。

昭和8年に組合立多紀実業高等公民学校が篠山城跡旧大書院において開校。その後、昭和13年組合立多紀実業学校(乙種)→昭和16年組合立多紀実業学校(甲種)この時代に篠山城跡南側に新校舎竣工→昭和21年組合立篠山農学校(この時代に旧篠山歩兵第70連隊跡【現篠山産業高校駐車場横】へ一部移転→昭和22年県立篠山農学校(完全移転)→昭和23年県立篠山農業高等学校→昭和38年県立篠山産業高等学校へと移り変わっています。

創立時は地域発展のため、この地域にいる若者達を教育するため、特に農業教育機関を作らねばならないという強い思いで、机も椅子も教材も満足に揃っていない中での出発となったようです。先生と生徒が協力して戦時中の苦労を乗り越え、学校を守り抜くための努力をした様子が記念誌に記載してあります。

また、このような言葉もあります。

碑をたてることは、この場所が発祥の地だと認識するだけでなく、創立の精神を十二分に汲んでほしいという願いがこめられている。その精神は例え時が流れ、校名や科が変わっても伝えられていくべきものだと強調したいと…。dsc_1704

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今年、創立83年の篠山産業高等学校。先人の様々な思いを知り、篠山産業高等学校の更なる発展を願うばかりです。